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子規も漱石も愛した味
松山鮓(もぶり鮓)とは?

2017/09/14
(提供元:中国四国博報堂

松山の家庭では、昔から祝い事や訪問客をもてなす際に「ばら寿司」をつける慣わしがあり、「瀬戸の小魚」をちりばめた「松山鮓」は、その中でも最高のもてなしとされている。

■子規が愛した故郷の味

近代俳句の祖である正岡子規と明治の文豪夏目漱石も好んで食したといわれる松山鮓。
明治25年8月、大学予備門の学生だった夏目漱石が初めて松山を訪れ、正岡子規の家に立ち寄ったとき、母・八重がもてなしたのが「松山鮓」であり、漱石は大いに喜んだという。
和服姿にあぐらをかいて、ぞんざいな様子で箸を取る子規の前で、極めてつつましやかに紳士的な態度であった漱石は、洋服の膝を正しく折って正座し、松山鮓を一粒もこぼさぬように行儀正しく食べたそうだ。その時の様子は、同席していた高浜虚子が、後に「子規と漱石と私」という書物の中で回想しており、あわせて司馬遼太郎の坂の上の雲の中にもその場面が出てくることから、後々に語り継がれている。
また、グルメであった子規にとって、母がこしらえた松山鮓が故郷の味であり、愛する松山の大切な思い出でもあったようで、このことは、子規が松山鮓に関する俳句を数多く残していることからもうかがい知ることができる。

われに法あり 君をもてなす もぶり鮓

ふるさとや 親すこやかに 鮓の味

われ愛す わが豫州 松山の鮓

なお、後日談として明治28年の春、松山中学校の教師として漱石が再び松山を訪れた際、(このときの経験が後年、小説「坊っちゃん」のモデルとなる)先ず所望したのが松山鮓だったそうだ。
漱石にとってもお気に入りの松山料理であったことが想像できる。

■「松山鮓(もぶり鮓)」の特徴

松山鮓は、特に決まり事はなく、旬の食材を使って作られ、愛されてきた家庭料理であるが、外せない基本が2つある。1つは、エソやトラハゼなどの瀬戸の小魚を素焼きにして細かくほぐしダシをとった甘めの合わせ酢(にごり酢という)ですし飯を作ること。2つめは、瀬戸内の旬の魚介類を盛り付けることだ。
炊き上がった米に、旨味たっぷりのにごり酢を混ぜ合わせ、刻みアナゴや炊き合わせた季節の野菜をもぶす(混ぜ込む)。松山では「混ぜる」ことを「もぶる」と言うため、「もぶり鮓」とも呼ばれている。更に、その上に錦糸卵をちらし、最後に季節に応じて酢ジメにした青魚(アジ・サバなど)や焼きアナゴや鯛・たこ・ハマチの刺身など瀬戸の魚介類・酢れんこんなどを盛り付ける。瀬戸内の山海の旬の食材が彩りよくふんだんに盛り付けられた松山鮓は、美しく、瀬戸内の美味満載の贅沢な逸品なのだ。

一度は、食してみたいこの松山鮓。松山市内には、軒先に松山鮓の看板メニューを掲げ郷土の味として提供する寿司店を目にすることができる。
さあ、子規や漱石がうまい!と認めた松山鮓、当時に思いをはせつつ郷土の味に舌鼓をうってみてはいかがだろうか。

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