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平和とまちのシンボルとして後世に
国登録有形文化財『今治ラヂウム温泉本館』

2020/11/05
白いドームと煉瓦の煙突
写真提供:今治ラヂウム温泉 ©Imabari Radium Onsen

JR今治駅から北東へ約1キロ。共栄町の通りに、多角形の高い塔屋がひときわ目を引く建物がある。西側に廻ってみると、対になる八角形の白いドームが出現。見る方向によって姿が異なり、タイムスリップしたようなこの建物が、「今治ラジウム温泉本館」だ。

五角形と六角形の平面を重ねた塔屋
写真提供:今治ラヂウム温泉 ©Imabari Radium Onsen

国内でも初期の鉄筋コンクリートドーム建築

今治ラヂウム温泉は大正時代に建てられた。創業者は芸予諸島の大島出身、材木業などで財をなした実業家・村上寛造(むらかみ かんぞう)氏。レンコン畑であった湿地帯を開拓し、京町(現・共栄町)を形成するまちづくりの中で、娯楽場を開設したのが始まりだ。
1919(大正8)年、創業当初は映画館を中心に浴場・ダンスホールなどでにぎわった多目的ホール・食堂などを備えた娯楽場「共楽館」を建設。1927(昭和2)年に浴場施設を「ラヂウム温泉」の名称で開業した。
建物の屋根に五角形と六角形を重ねた塔屋を掲げ、背面には八角形ドームの2つの男女浴室を並べた外観。浴室内部は10メートル以上あるドーム。柱や壁面はマーブル技法と呼ばれる、大理石に似せた腕利きの左官による磨き石彫仕上げだ。モダンでハイカラな珍しい建物に、当時の人たちはさぞや目を見張ったことだろう。

ドーム天井の浴室。古代ローマの公衆浴場のよう
写真提供:今治ラヂウム温泉 ©Imabari Radium Onsen

戦渦を乗り越え、戦後の復興を支える

太平洋戦争中の1943(昭和18)年、今治市越智郡郷土防衛隊の本部が置かれ、戦時下の郷土を守る防空対策の拠点となった。1945(昭和20)年4月26日、5月8日、8月5日〜6日の米軍機による空襲で今治の街の8割は焼失。そのなかでこの建物は奇跡的に焼失を免れた。外地からの復員兵が、焼け野原になった市内で家路を探すのに、がれきの中の目印にしたというエピソードも残っている。中心市街地が消滅したなかで、今治ラヂウム温泉の建物は一時的に自治体、銀行、病院などの臨時的な拠点となって市民の命をつなぐ役割を担った。

空襲直後の今治ラヂウム温泉本館の建物
写真提供:今治ラヂウム温泉 ©Imabari Radium Onsen

戦後も2階はダンスホールとしてにぎわい、3階は昭和40年代に宿泊施設として改造された。地域の住民だけではなく、観光や四国遍路などで訪れる人たちにも憩いの場を提供し、戦後の復興を後押しする。
しかし2014(平成26)年、多くの人に惜しまれながら浴場を休業、その後閉館した。

1953(昭和28)年の創業35年の広告(「今治商工名鑑」掲載、今治商工会議所発行)
写真提供:今治ラヂウム温泉 ©Imabari Radium Onsen

歴史を伝える建物として後世につなぐ保存の動き

2016(平成28)年11月に「今治ラヂウム温泉本館」の名称で、国の有形文化財に登録された。その後も、国内初期の貴重なドーム建築構造、他に類を見ない塔屋や窓の形状など、現在に残るかけがえのない貴重な建物として研究者や建築ファンの注目が集まっている。東京大学生産技術研究所 川口健一教授が率いる研究グループによるドーム建築構造の調査研究をはじめ、デジタル空間に3次元形状を保存しアーカイブ化する試みも進行中だ。
村上寛造氏が「今治のまちの繁栄のために、孫末代まで残るものを」の想いをこめて建設した「今治ラヂウム温泉」。先人が新しいまちづくりを夢みて誕生したこの建物は、空襲を乗り越えて100年を歩んできた。大正、昭和、平成、令和の時代を眺め続けた建物は、それぞれの時代のロマンとメッセージを発信し続けている。

ドローンで撮影した現在の「今治ラヂウム温泉本館」
写真提供:今治ラヂウム温泉 ©Imabari Radium Onsen

戦後75年を節目に知られざる今治空襲のエピソード動画など、今治ラヂウム温泉の公式フェイスブックとYouTubeで公開中

【今治ラヂウム温泉Facebook公式ページ】
https://www.facebook.com/Imabari.radium/ 

【今治ラヂウム温泉Youtube公式チャンネル】
https://www.youtube.com/channel/UC8cDCC8zuJi3-Z0M7VANgyg/

国登録有形文化財「今治ラヂウム温泉本館」
所在地 今治市共栄町4丁目2番9号

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