日本のお金にはどんな歴史があるの?
徳川幕府の貨幣
天下を統一した徳川幕府は「全国で使える貨幣の制度」を広めるため、徳川幕府が独占して貨幣を発行できるようにしました。
小判をはじめとして各種の金貨や銀貨をつくり、それぞれを両替できるようにしました。これが全国に広がり、使われるようになりました。
写真:日本銀行金融研究所貨幣博物館
天下を統一した徳川幕府は「全国で使える貨幣の制度」を広めるため、徳川幕府が独占して貨幣を発行できるようにしました。
小判をはじめとして各種の金貨や銀貨をつくり、それぞれを両替できるようにしました。これが全国に広がり、使われるようになりました。
写真:日本銀行金融研究所貨幣博物館
江戸時代には様々な大判がつくられました。
写真:日本銀行金融研究所貨幣博物館
江戸時代の中頃から貨幣の不足などで、各藩が「藩札」という紙幣を発行しました。金札(きんさつ)、銀札(ぎんさつ)、銭札(ぜにさつ)などがあり、とくに銀札が多く発行されました。明治時代になるまでさまざまな藩札が発行され続けました。
江戸時代には愛媛県の宇和島藩や大洲藩、今治藩や西條藩でも藩札が発行されました。
江戸時代には愛媛県の宇和島藩や大洲藩、今治藩や西條藩でも藩札が発行されました。
江戸時代には愛媛県内でも、富くじ(今の宝くじ)も発行されました。
徳川幕府は幕府を開いた時から金貨、銀貨についてはとても早く貨幣をつくりました。だけど、銭貨(せんか)においては外国から輸入したお金をしばらくは使い、その後、やっと銭貨、寛永通宝(かんえいつうほう)をつくりました。寛永通宝はその後約200年間、全国各地の「銭座」(ぜにざ)においてつくられ、広く使われました。その後、寛永通宝四文銭(かんえいつうほうよんもんせん)や、銅一文銭(どういちもんせん)、原料がそまつな天保通宝百文銭(てんぽうつうほうひゃくもんせん)などがつくられました。
写真:日本銀行金融研究所貨幣博物館