愛媛県の銀行の歴史を調べてみよう!
愛媛県に最大50の銀行があった
国立銀行が誕生したあと、産業の発展にともない、次々と銀行がつくられて「宇和島銀行」明治13年(1880)をはじめ、「郡中銀行」明治19年(1886)、「松山貯蓄銀行」明治29年(1896)、「大洲商業銀行」明治29年(1896)、「東豫銀行」明治29年(1896)、「愛媛県農工銀行」明治31年(1898)など明治33年(1900)には、愛媛県だけでも50の銀行がありました。
国立銀行が誕生したあと、産業の発展にともない、次々と銀行がつくられて「宇和島銀行」明治13年(1880)をはじめ、「郡中銀行」明治19年(1886)、「松山貯蓄銀行」明治29年(1896)、「大洲商業銀行」明治29年(1896)、「東豫銀行」明治29年(1896)、「愛媛県農工銀行」明治31年(1898)など明治33年(1900)には、愛媛県だけでも50の銀行がありました。
世の中の動きが激しくなり、昭和のはじめの法律によって、たくさんありすぎた銀行の数が減らされました。愛媛県でも最大50あった銀行が16にまでに減ってしまいました。これは産業の発展にともなって、多くの銀行が合併して安心と信頼のある大きな銀行にしようという気持ちになったからです。
そして、南予では豫州銀行(よしゅうぎんこう)、松山は松山五十二銀行、東予は今治商業銀行にまとまっていきました。でも、まだいろんな形で多くの銀行がありました。
ふえた銀行は南予では豫州銀行にまとまってきました。写真は豫州銀行本店(現伊予銀行八幡浜支店)のものです。
豫州銀行佐伯支店(現:伊予銀行佐伯支店) で当時使われていた看板です。当時の銀行のマークがはいった瓦です。
写真は松山五十二銀行で使われていた銀行の印鑑です。数多くの印鑑がありました。