写真で見る愛媛の様子
明治時代の愛媛の様子と銀行
明治12年(1879)、全国で153の国立銀行がつくられ、愛媛でも全国で29番目、四国で2番目の「第二十九国立銀行」がつくられました。
明治12年(1879)、全国で153の国立銀行がつくられ、愛媛でも全国で29番目、四国で2番目の「第二十九国立銀行」がつくられました。
「第二十九国立銀行」がつくられた後、県内産業の発展で宇和島銀行をはじめ、明治33年(1900)には愛媛県だけでも50の銀行が作られました。
明治から大正時代と、愛媛の多くの銀行は愛媛の様々な産業の発展に大きく貢献しました。
銀行は愛媛の様々な産業の発展に大きく貢献しながら、県民の暮らしを支えました。
昭和のはじめに、沢山ありすぎた銀行の数が減らされました。愛媛県でも最大50あった銀行が16にまでに減ってしまいました。
松山での松山五十二銀行をはじめ、まだいろんな形で多くの銀行がありました。
太平洋戦争という戦争が始まった昭和16年(1941)に、政府が一つの県に一つの銀行という方針を決め、伊豫合同銀行という一つの銀行にまとまりました。
太平洋戦争戦争が終わった後の昭和26年(1951)に伊豫合同銀行は合同10年を記念して、「伊豫銀行」に名前をかえ、昭和27年(1952)に伊豫銀行の本店が建てられました。