沿革・あゆみ

明治25年 佐伯政直が正岡子規に宛てた手紙

正岡子規が伊予銀行の前身である第五十二国立銀行の株主だった!

松山藩では明治8年に家禄奉還が実施され、正岡家も1,200円を得ており、その管理は子規の叔父である大原恒徳が行っていた。柳原極堂の著書「友人子規」によると、『大原恒徳は第五十二国立銀行に勤務しており、正岡家が受け取った家禄奉還金は第五十二国立銀行の預金及び株になっていたと想像される』との記述がある。また、佐伯政直が子規に宛てた手紙(明治25年)に正岡家の資産一覧が記載されており、その中にも『銀行株より生じる配当金』等の記述がある。

  • 家禄奉還:維新政府が明治6年に布告した家禄奉還規則によるもので、一時金を支給し、従来藩から支給されていた家禄を廃止するもの。
  • 柳原極堂:子規の友人で俳人。月刊俳誌「ほととぎす」を松山で創刊し、子規の俳句革新を支えた。
  • 大原恒徳:子規の母親八重の弟。第五十二国立銀行の設立に参加し、支配人となる。
  • 佐伯政直:子規の従兄。第五十二国立銀行の設立に参加している。